かつてホールで行われた乞巧奠の楽屋で冷泉さんからうかがった話です。
定家自筆の『古今和歌集』はじめ『後撰和歌集』などを、冷泉家の中興の祖為村が万一に備えて臨写した副本が残されています。それは原本と見紛うばかりに忠実に模写されたもので、まことに高度な技術で、まさに驚嘆に値するものだそうです。それは複本作成という目的であるだけでなく、限りなく定家に近ずくため、定家の心にあたるための和歌の修養としてなされたものだそうです。
今回の新型コロナウィルス感染拡大により、稽古はいうに及ばす、各種茶会、講演等もなくなり、時間ができたので手元にある杉木普斎自筆の伝書を毎日読んでいます。普斎は私がもっとも尊敬する茶人の一人です。以前から普斎の研究をし、流儀の機関紙にも連載で発表しました。
普斎の字はまったくてらいのない、まことに豪快な筆跡です。読み続けるにつれ何ともいえない緊張感を持ち始めました。そしてまさに普斎が目の前に居るような気分にすらなりました。そもそもこの伝書は普斎が宗旦と一翁、江岑から直接伝授されたこと、聞書、茶事の心得、利休の茶室はじめ数寄屋のこと、表具の寸法、道具の置き合わせやその手順を認めた5冊の本です。まさに、普斎がその生涯をかけて宗旦、一翁、江岑から受け継いだ「正風の茶の湯」、すなわち千家に伝わる利休の茶の湯の真髄がここに記されているのです。そしてをそれを受けるに値する門人に余すところなく伝えるために門人に書き与えた書なのです。そこには当時家にはびこる誤った利休の茶の湯ではなく、正真正銘の本物を伝えるという気概がみなぎっています。そこに込められた普斎の思いは格別なものです。
臨写することで為村は定家に会っていました。私は臨写することは到底できません。でも格別な気概がこもった普斎自筆の書を毎日眺めて、普斎と出会って身の引き締まる思いにい浸り、その一端を伝授されているという思いでいます。
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