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今でしょう!

満97歳の先生に30年ほど師事している他流の懇意な友人がいます。先生が超高速で老け続けていて、その寿命ももうそう遠くないのがわかりとても辛いといってます。今のうちに恩を一つでも多く返さないと。師匠に報いることは何なんだろか?ちゃんとできているのか?と悩んでいます。師匠が亡くなった後の稽古はどうなるのか?とか思った末に、長年稽古してきたからもうこれでいいかと心が定まり、なんとも理解できないサバサバ感に浸っているのどそうです。この後は自分に見合った違う形でお茶との関わりができればそれでいいと感じているそうです。彼女自身も先生同様にこれからの10年20年は大変なスピードで過ごす事になるのだから、他のいろんなことに目を向けたい。その上でお茶を楽しみたい。だからこそ、いまお稽古で出来ることはそのすべてを出し切ってやり遂げたい。もうひと踏ん張り頑張るという結論に達したとのことです。

これが悩みに悩んだ末の彼女の答えです。すごい心境だと敬意を表しています。テレビ番組ではないですがまさに「今でしょ!」。今この瞬間をいかに生きるか⁉︎いかにこの瞬間を大切にするかということを考えさせられました。私自身、そんな心で生きているのか?お茶をやっているのか?とても恥ずかしい気分になりました。

道元禅師の、『正法眼蔵』大悟に、

いはくの今時(こんじ)は人人(にんにん)の而今(にこん)なり。我(われ)をして過去未来現在を意識せしめるのは、いく千万なりとも今時(こんじ)なり、而今(にこん)なり。

たとえ、どれほど過去や未来のことを思ってみても、所詮は現在の自分が考えていることです。人の本性は必ず今そのものです。「而今」とは一瞬のことであり、ここには過去も未来も、そして現在も無く、その瞬間、瞬間に含まれているのです。それはいく千万あったとしてもその全てが一瞬なのです。明日があるとか、又機会があるとか、これからも続いていくと思っていると、一日や一瞬一瞬を味わうことなく、瞬時の豊かさやありがたさを感じにくくなってしまいます。そして今の環境があるのが当たり前だと思ってしまうものです。そして次にはいろいろな不満がおきてきます。彼女の心境はそれまで当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなり、高齢の師に長年にわたりつかえてきて、その師の衰えを目の当たりにして、あとどれほどの時間があるのかを身に染みて感じることにより、一瞬の大切さをしったのです。まさに悟りの境地とはこうしたことをいうのかもしれません。

かつて大峰山に徒拝し、各行場で修行させていただきました。そして西の覗きで感じたなんともいえないあの清々しいかつて体験したことのない心を悟りではないかと思いました。ただしそれはほんの束の間のことでした。

真の悟りに至った人はそれが瞬時では無く永遠のものになるのでしょう。この友人の今の心境を知って、私のような凡夫にはせめて「而今」ということを、理屈としてではありますが大切に心に刻まなければならないと思いました。


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