江戸時代に長崎から江戸まで旅をしたドイツ人エンゲルベルト・ケンペルは,「世界中で非常に高く美しい山富士山」「円錐形で左右の形が等しく、堂々としていて、草や木は全く生えていないが,世界中でいちばん美しい山」と称えています。昨日、5年生の息子と念願の富士登山を達成しました。
本朝五畿 七道之内 駿河之国 一峰兀然 湧出天際 聖主七代 孝霊皇帝 五年竜集 乙亥之辰 古今伝言 身毒支那 独絶等匹 渉海則有 蓬莱方丈 登陸則有 雪山五嶽 錐然与麼 未聞湧出 唯者神山 一朝実出 不消安排 自然恰好 一模芙蓉 神秀奇絶 玄聖遊化 霊僊窟宅 実不可誣
吾家有言 大地撮来 如粟米粒 佑之観之 無論可及 這箇旦正 山僧去歳 戊辰稟旨 薫万松山 泉界国乎 半井卜老 寄書左右 諸図冨峰 山僧元来 家事百拙 況於他事 抛之一辺
或時楮公、与笈城子 逢着遊戯 叱声視之 偶爾成文 恰如覆盆 令人棒腹 予者不思 贅四句爾 不高不低 無名可名 不二不二、華夷斎鳴する
己巳之秋
僊東海日
破睡漫書
本朝五畿七道の内駿河の国、一峰兀然として天際に湧出す、聖主七代孝霊皇帝五年竜集乙亥の辰、古今言を伝える、身毒支那独り等匹を絶す、海を渉れば則ち有り、蓬莱方丈、陸を登れば則ち有り、雪山五嶽、錐然として与麼、未だ湧出を聞ず、唯だこの神山、一朝実出して安排を消ず、自然恰好一模芙蓉、神秀にして奇絶、玄聖遊化し、霊僊窟宅す、実に誣むべからず
吾家に言有り、大地撮み来れば、粟米粒の如し、これを佑けこれを観る、論ずること無く及ぶべからず、這箇の旦正、山僧去歳、戊辰旨を稟け、万松山に薫じ、泉界国半井卜老書左右寄せ、諸冨峰を図る、山僧元来家事百拙、況や他事において、これを抛うち一辺とす
或時楮公、笈を城子に与え、逢着し遊戯する、叱声これを視て偶その文成り、恰かも盆を覆して人をして棒腹す、予は思はず、贅四句かくのごとし、高からず低からず、名無く名よろし、不二不二、華夷斎鳴す
己巳之秋
僊東海日
破睡漫書
江戸後期の大徳寺の宙宝宗宇が堺の医師半井氏の依頼により認めた富士画賛です。
わからないところがあります、特に後半は。大体の意味を以下に記します。お気付きの点がありましたら是非ともご指摘ください。
わが国の五畿七道の内、駿河の国に先の尖った一峰が兀然として空の彼方にに湧き出でた。聖主7代孝霊天皇5年乙亥の年とむかしから伝えられている。身毒(インド)・支那(中国)にも並ぶものがない。海のかなたには仙人が住むという蓬莱・方丈がある。陸をには雪山(ヒマラヤ山脈)中国で古来崇拝される五嶽(泰山・嵩山・灊山・華山・恒山)がある。錐のように屹立としてこのように。未だ富士山のように湧出したと聞ず、唯だこの神山冨士は一朝にして実出して作り出されたのである。その姿は 芙蓉と同じ形である。何ともいえず神々しいく極めて素晴らしい。聖人が 心に任せて遊び楽しみ、仙人がそこを住まいとする。実に形容のしようがない。
吾家には伝わる語がある。「大地撮(つま)み来れば、粟米粒(ぞくりゅうべい)、すなわち玄米ひとつかみのの如し」、このわが家風を助けこれを観る、そしてこれは論ずること無くまた及ぶことができない。わたしは去年、すなわち戊辰の年に天皇より命を受け東海寺の住職となり。この正月、和泉国の半井卜老が周辺の者に冨士を書かせた。わたしは元来不器用で、いわんや他のことを。そこで筆を抛ちこれでその思いの一辺とする。
ある時、紙を与えられられたが遊び戯れてなかなか認めずいたところ、お叱りを知りたまたまその文章ができた。それは盆をひっくり返したようなもので腹を抱えて大笑いされるようなものである。わたしのよけいな文章はかくのごとしである。それは決して高からず低からず、名も無くまた名もよろしい、不二不二、二つと無いである。中華も夷狄にも世界中に鳴り響く冨士である。
なお、孝霊天皇5年に富士山が出現したことについて室町時代の国語辞書である『下学集』に、
冨士山 人王㐧七代孝霊帝ノ時一夜ニ從地涌出ス
また、『運歩色葉集』にも、
富士山 人皇㐧七代孝㚑帝善記三年甲辰三月十五日一夜ニ自地涌出
とあります。
北畠親房が著した有職故実書『職原鈔』には富士山と琵琶湖のことについて記されています。
孝靈帝五年六月,近江湖水始湛,而駿河富士 山始涌出
そして、江戸前期の浅井了意は『東海道名所記』は、
諺に、むかし,富士権現、近江の地をほりて、富士山をつくりたまひしに、一夜のうち に、つき給ヘり、夜すでにあけゝれば、簣かた を、爰にすて給ふ、これ三上山なりといふ、さもこそあるらめいにしへ、孝霊天皇の御時に、此あふミの水うみ、一夜のうちに出きて、その夜に、富士山わき出たり、その時しも、三上山も出来にけり、一夜の内に山の出き、淵の出き、又ハ山のうつりて、余所にゆく事、物しれる人 は、ふかき道理のある事也、故なき にハあらずと、申されし
冨士権現が富士山を作ったとしています。そして、博学こだわり倶楽部 編『あっぱれ!富士山 日本一の大雑学』に、
富士山成立に関する伝説「日本一の山と湖」ではつぎのとおり。その昔,日本の神々が集まって,日本一高い山と日本一大きい湖をつくることにした。神々は日本一高い山をつくる場所を駿河国,制限時間を 1 日と決め,力自慢の神々が近江国から掘った土をもっこ(土石運搬に用いる道具)に入れて駿河国に運んだ。その土を盛って山をつくろうというのだ。
夕方からはじまった山づくりの作業は,明け方近くになって,あとひともっこで山ができ上がるところまできた。しかし、最後のひともっこを時間内に積み上げられなかった。そのため,富士山の山頂は尖った形でなく平らになってしまった。いっぽう,近江国の土を掘った跡地には日本一大きな琵琶湖ができた。積み上げられ なかった最後の一杯の土は,琵琶湖近くにこぼれて近江富士となった。
富士山のことを調べると本当に楽しいです!
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