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ちょろけん


 松村呉春のちょろけんの絵に、大徳寺443世 断橋宗扶(だんきょうそうふ)が着賛した軸です。      子ハまける     をやちハたゝく    其中を       とりさへ     かほに     たつや     千代老       賢    紫林雲林断橋戯題(花押) 「とりさへ」とは仲裁するとか調停するという意味です。親子喧嘩の仲裁を滑稽な顔でちょろけんがしている絵がなんともおもしろい軸です。  今から20年ほど前に朝日放送の『探偵!ナイトスクープ』で「ちょろけん」を実際にみたいという依頼がありました。探偵のトミーズ雅が広辞苑のイラストを元に作ったちょろけんの仮装でちょろけんについて調査をした内容でした。とても面白かったので今も記憶に残っています。  ちょろけんとは、江戸時代に京都で始まった門付(かどづけ)の大道芸のひとつです。頭から腰の上まで隠れる大きな張り子の籠にこっけいな表情の目鼻を描いたものをかぶり、黒塗りの大笠をつけたものが、割竹をもって面白おかしい身振りをし、頬かぶりなどをしたものが張りぼての前後に立って太鼓・びんざさらで賑やかな音を立てながら、    長老が参じました。大福長者じゃ。長老を見る    人は福徳が来る などと唱えながら町々を歩きまわり、家々の戸口ごとにご祝儀をもらい歩いていたそうです。専門の芸人ではなく、小遣い目当ての若者が余興半分に演じていたそうです。そのせいもあってか、子供や若い女性に遭遇すると、面白半分に脅かしたりからかうことがたびたびあったとのことです。  現在、ちょろけんのような門付が滅びていく中、平成26年に大阪城天守閣が「大坂の陣400年プロジェクト」の一環としてちょろけんを復活させています。また、以前行われた3代目 山村友五郎の襲名披露公演で友五郎が「へらへら踊り」でちょろけん姿で現れて会場を盛り上げたそうです。なお、 山村流は200年以上の歴史を持つ大阪で生まれた上方舞の流派で、歌舞伎役者から振付師に転じた山村友五郎が流祖です。この度の3代目襲名はなんと120年ぶりの慶事だったそうです。  かって「ちょろけん」や「春駒」・「鳥追い」・「猿曳(猿回し)」などの幸福を届けるとされていた門付の大道芸は一部を除いて今となっては見ることがなくなりました。まさに書物の世界にのみ残っているといえるでしょう。


       『広辞苑』 ちょろけん



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