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平安神宮月釜澄心会

平安神宮月釜澄心会の当番でした。朝一番に御神前に献茶し、引き続き第一席となりました。昨日が9月9日重陽ということで菊に因む道具組みでご来客のみなさまにお茶を差し上げました。ちなみに今年の旧暦9月9日は10月23日でまだまだ先です。相変わらずの厳しい残暑でしたが、天気予報では午後から雨ということでしたが、幸い道具を片付けて神社を辞するまでは快晴で本当に助かりました。

床に飛鳥井正章の懐紙「菊契多秋」を掛かました。。菊の着綿を歌ったものです。菊の露が移す着綿との行事をを千歳にわたり繰り返す喜びの気持ちが詠まれています。

重陽同詠菊契多秋       

       和歌

  正三位藤原雅章

むすへなをけふ

九重の菊の露

花に千せの秋

のちきりを

重陽は中国から伝わった行事ですが、菊の着綿は日本独自の風習です。重陽の前夜の9月8日の夜、菊の花を真綿で覆って夜露と香りを移し、翌朝、その綿で身体や顔を拭うというものです。老いがさり若々しく長生きできると信じられていました。『後水尾院当時年中行事』等の有職書によると、白菊には黄色い綿、黄菊には赤い綿、赤菊には白い綿を使い、色を小さい綿で蕊(しべ)を作るとあります。床に大正10年に三代聿斎宗泉が東大阪市の枚岡神社で献茶を奉仕した時の撤下折敷に白・赤・黄の菊に約束の色に染めた真綿を載せて飾りました。花入は藪内家伝来で利休所持写しの花入の落しに水のみを張りました。

また、寄付の床には江戸後期の尾張名古屋藩の御用絵師喜田華堂( きだかどう )の茱萸袋(ぐみぶくろ)図を掛けました。かつて宮中では、厄除けとして重陽の節句に菊花と茱萸を緋色の袋に入れた「茱萸袋」が作られました。そしてそれを清涼殿の御帳台の柱に端午の節句(5月5日)につけられた薬玉と茱萸袋と取りかえられました。

寄付の床に炭道具を飾り、香合は玄々斎在判の鎌倉彫菊香合と八代家元一啜斎好みの菊置上丸炭斗、先々代の実兄久田無適斎の好みになる朝鮮鶴羽箒などを飾りました。

点前座には了解保作鬼面風炉釜、先々代家元愈好斎が北野天満宮の大杉と時代の矢竹を用いた烏帽子棚と紅毛水指、堀内兼中斎の引舟画讃風炉先、五代家元文叔在判の菊蒔絵大棗、一元作になる平茶碗「風車」、三代聿斎好みの吉向薩摩写し茶碗「東籬」、九代家元好々斎が伏見にあった織部藪の竹で削った茶杓「白菊」など菊に因む道具を使いました。ちなみに好々斎は裏千家不見斎の弟で武者小路千家に入家する前に三代玄室を襲名し皆伝を受け、八代一啜斎の末娘宗栄と結婚しました。


なお、普段から私は月釜では手物にある他流の道具も取り合わすようにしています。自分の知らない家元の道具ばかりではつまらないので。

お暑い中にも関わらず多くのみなさまにお越しいただきました。また、狭い水屋で手伝ってくれた社中。本当にありがとうございました。厚く感謝申し上げます。


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