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松平不昧公

もとは浄土宗江戸四ヶ寺のひとつ、芝の天徳寺にあった松平不昧公の墓です。関東大震災の被害に会った際、松江の月照寺に移されることになっていましたが、高橋箒庵が護国寺に移転しました。


初代松斎宗詮は大坂木津の願泉寺に生まれ住職として勤めます。四天王寺で雅楽を嗜み、寺を弟に譲り江戸に雅楽を広めると目的で下ります。ところが雅楽伝播の目的を果たすことができず、当時江戸で著名な八百善という料理屋に寄寓します。そこに出入りしていた不昧公が大崎の下屋敷に松斎を召し茶の湯を指導してくださいました。そして不昧公のお勧めで武者小路千家8代一啜斎に入門させ、帰坂にあたり「寒一色千年別」を拝領し、大坂で武者小路千家の新たな茶家を立てたのです。


不昧公は木津家にとって最大の恩人の一人であります。

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