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綾椿(あやつばき)

 江戸後期、江戸幕府の御家人で国学者の屋代弘賢(やしろひろかた)が自然・社会・人文の諸事項を分類し、その起源・歴史などを古今の文献をあげて考証解説した『古今要覧稿』に、 諾州採薬記云、伊勢国鈴鹿郡高宮村に檜椿といふ名木あり、椿の木より檜の葉出る、惣じて此村の椿に檜木交り出る、弘法大師の檜木を椿になし給ふと申伝ふるよし、予寛保中夏台命によりて彼土に行此椿の木御用に付、一丈許の木二本を奉りしを吹上御庭に植させられしなり、此椿のありし村は東海道石薬師の駅より一里程江戸の方へ来れば其村みゆる也、国史草木昆虫攷云、あやつばき云々、式に鈴鹿郡椿太神社あり、今は椿の明神と申ける、友人村田春海が記に云、御社の前にいたればかなたこなたにいと陰ふりたる椿の花白きと赤きがあまたたてり、立よりて見るに、檜の木のさましたる葉の枝ごとに生いでたり、こはいかなる種ぞと問へば、此御社の前なるは皆かかる葉の生いづめり、こをむかしよりあやつばきとぞいふなる、このうしろなる高嶺をつばきがたけともいひなべてこのほとりに椿いとおほしとなんいふ、またこの御社はなにの神のいははれ給ふにかといへば、猿田彦の大神なりとぞ、やがていがきのもとにのかづきて、 はふりこがいはふみむろの綾椿遠つ神代に植し種かも と、三重県鈴鹿市の椿大神社の境内に「綾椿」、別名「檜椿」のことが記されています。『古今要覧稿』によると、弘法大師空海が檜を椿に変えたど伝えられ、将軍の命で椿大神社から江戸城に一丈(3メートル)ほどの木を二本植えたとあります。 神社の境内には鬱蒼と紅白の椿が生い茂り、みな檜のような葉が生えていて、古来、「綾つ」といい、神社の後ろの山を「椿ヶ岳(入道ヶ岳)」といいこあたりには椿がとても多く、この神社には猿田彦神が祀られていると書かれています。  綾椿とは学名わヒノキバヤドリギといい、ヤドリギ科ヒノキバヤドリギ属の植物です。椿の枝に生育する寄生植物で、緑色で光合成をするので、全寄生ではなく半寄生の植物です。










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