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聿斎手造茶碗 銘 雷峰夕照


甲子の年、すなわち大正13年(1924)夏に聿斎の門人で大阪の道具商である戸田露綏(とだろすい)が同志を伴って中華民国(現、中華人民共和国)を漫遊した。その時、露綏が万里の長城の壁の土を持ち帰り、その土と九谷の吸坂(すいさか)(石川県加賀市)の土とを併せて聿斎が茶碗10個を造った。そして杭州の「西湖十景(せいこじゅっけい)」にちなみそれぞれの茶碗に銘をつけている。この茶碗はその内の一つ「雷峰夕照(らいほうせきしょう)」である。雷峰夕照とは西湖の南岸の夕照山(せきしょうざん)の最高峰である雷峰頂(らいほうちょう)の雷峰塔が夕陽に照らされたその美しい光景をいう。この塔は呉越ごえつの最期の王である銭弘俶(せんこうしゅく)が黄妃(こうひ)の男児出産を祝って建てた事から「黄妃古塔(こうひことう)」とも呼ばれていた。

 西湖の名のいわれは、北宋の蘇東波(そとうばがこ)の湖をこよなく愛し、中国古代の美女西施(せいし)にたとえて「西子湖(せいしこ)」とその詩の中で詠んだことからといわれている。西湖十景は、南宋の宮廷の絵を描いていた翰林図画院(かんりんとがいん)の絵師たちが、四季折々の西湖のすばらしい光景を山水画のテーマとしていた描いた十景が始まりとされている。すなわち、「蘇堤春暁(そていしゅんぎょう)」「曲院風荷(きょくいんふうか)」「平湖秋月(へいこしゅうげつ)」「柳浪聞鴬(りゅうろうぶんおう)」「断橋残雪(だんきょうざんせつ)」「花港観魚(かこうかんぎょ)」「双峰挿雲(そうほうそううん)」「南屏晩鐘(なんびょうばんしょう)」「三潭印月(さんたんいんげつ)」「雷峰夕照」である。なお、雷峰塔のレンガが病気を治し、また安産に験があるという伝説により、多くの人々が塔のレンガをけずり取りその破片を持ち帰った。そして1924年9月25日午後、掘りつくされてほとんど空になった塔の基礎はその重みに耐えられず、突然倒壊している。2002年には新たに雷峰塔が再建されている。




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