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茶碗の思い

明治14年12月1日に武者小路千家11代一指斎が京都北野天満宮で流儀として初めて神社仏閣での献茶を奉仕しました。2代木津得浅斎宗詮の門下平瀬露香が献茶道具一式と拝服席の数茶碗を奉納しました。

なお、同じく拝服席用の楽慶入作になる絵高麗写し数茶碗を同じく得浅斎門下の兵庫の北風正造が納めています。これらの茶碗はのちに一つずつ箱が作られ社中縁者に頒られました。


わが家には平瀬露香の半介作になる瀬戸釉の梅花紋の茶碗が伝わり、眼鏡箱に入れられた10個と、もう一つ別の箱に納められ3代聿斎宗泉が箱書をしたものです。



半介造

内梅花紋

 天目茶碗

 明治十四年北野

 献茶時造之

    聿斎(花押)


この度、『目利きー谷松屋八代戸田露吟覚書』を上梓するにあたりFacebookで繋がった宮武浩二氏のお宅を過日お伺いしました。その折に同じく平瀬露香が北野天満宮での献茶で作らせた半介作になる瀬戸釉の別の手の茶碗を拝見させていただきました。


箱書は平瀬露香が、


明治十四年十二月一日

北野聖廟献茶祭

直会用之内

     露香(花押)

箱の表には、


瀬戸窰

 御茶碗

と認めています。

宮武氏とご母堂と約5時間余りにわたり数々の話題に花を咲かせました。先日も書きましたように、お互いの生涯の務めは、先祖の業績をのちに伝える祖述が仕事であると意気投合しました。そしてこれから互いに協力していきましょうと。

この時にわが家にもその時に用いられた茶碗があることをお話しました。今年の北野天満宮の献茶祭は武者小路千家の当番です。以前から父と今年の北野天満宮の献茶祭で添釜をさせてもらおうと話ていました。そのことを宮武氏親子に申し上げ、この茶碗をわが家の茶碗とともに是非とも一緒に使わせて欲しいとお願いしたところ、お譲りしますと思わぬ答えが返ってきました。驚くべきお申し出で、私も恐縮しつつもお受けさせていただき京都の自宅に持ち帰りました。なお、本年の北野天満宮献茶祭は、一指斎が初めて奉仕してから数えで百四十年の節目にあたります。

本日、父が武庫之荘の宅からわが家に伝来する茶碗を持ってきてくれ、早速、箱屋に行き、二つの茶碗が入る眼鏡箱を発注しました。帰宅後直ちに二つの茶碗を並べて写真を撮りました。一指斎の献茶終了後、この二つの茶碗は別々の主人のもとに別れ別れになり140年の歳月が経ったのです。そしてまさに140年ぶりに今日わが家で対面したのです。

今後の新型コロナの蔓延の状況により今年の献茶の添釜はどのようになるやら未定ですが、いずれにしろ北野天満宮に持参して必ずお茶を立てるつもりです。140年前の舞台に一緒に立たさせてあげるつもりです。なお、この二つの茶碗と同じものが奉納された献茶道具一式の中の天目茶碗でもあります。梅花紋は濃茶用、瀬戸釉は薄茶用として同宮の唐櫃に他の道具ととも

に納まり、今日も大切に所蔵されています。

宮武氏親子も私もこの二つの茶碗が一緒に、再び北野天満宮の献茶祭の舞台に立たせて欲しいとの茶碗の思いに操られただけなのだと心底思いました!

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