木津宗詮11月2日1 分責任感同じく七不思議の一つ白木の棺です。 今なら予算超過しても絶対に自害するなんでことありません。江戸時代ということで現在とは当然異なりますが、仕事に対する責任感は恐るべきものが伝わります。
木津宗詮10月30日2 分上の間藩主御成の時に使われる「上の間」です。10畳敷で、一間の床その左に違棚、右には付書院、長押付きの構えです。 天井は砂刷りの板で竿縁は丸太の面取り、床の落としがけ等には銘木が用いられ、床框は真塗。長押には菊の釘隠し。また、濡れ縁も二段となり、濡れ縁に座る立場の者、給仕するもの...
木津宗詮10月30日1 分記念茶会東本願寺の大寝殿はじめ、白書院、宮御殿などの諸殿群14棟と歴代門主の住居、並びに執務空間である「内事」建物3棟が重要文化財の指定を受けた記念茶会にお招きいただきました。 大谷暢顕前門首裏方(夫人)大谷妙子大裏方が鶴の間でご亭主として釜を掛けられました。祝賀に相応しい数々の道...
木津宗詮10月29日1 分茶点所出雲の櫻井家住宅で、藩主が使う「上の間」の延長線上で次の間に接するところに三畳の茶所とされる小部屋があります。釣床様の壁床、勝手に近い方に方立の太鼓襖が入り、次の間との境には二枚の引き違いの唐紙の襖、濡縁には一枚の板戸が開戸として入っています。畳中央勝手寄りは台目切で炉。点...
木津宗詮9月10日1 分松向軒天正 15 (1587) 年 10月の北野大茶湯で,細川忠興 (三斎) が,影向 (ようごう) の松の西に茶室を造って松向軒と名づけたとされるています。江戸時代前期には大徳寺塔頭で、細川家の菩提寺である高桐院に移築されます。...
木津宗詮8月10日4 分琴ノ浦 温山荘園(ことのうら おんざんそうえん)明治時代から昭和前期の実業家新田長次郎の和歌山県海南市の別邸です。この別邸は新田の郷里、松山藩旧藩主久松定謨伯爵来阪の際の迎賓館兼新田家別荘として建造されました。また、久松伯爵の他に伏見宮文秀女王、桂太郎、清浦金吾、東郷平八郎、秋山好古などの皇族、華族が訪れています。...
木津宗詮7月12日1 分三猿堂伊木三猿斎は幕末から明治維新の困難な時期に藩政の指揮を執った岡山藩筆頭家老で、裏千家玄々斎に茶の湯を師事しました。大徳寺山門金毛閣に安置される利休居士立像は、三猿斎没後に大徳寺に寄贈されたものです。なお、三猿斎は、釉薬掛けにも独特な味をもった京風な作品を虫明焼に求を始め、岡...
木津宗詮7月5日2 分バドゥイジャワ島西端のバンテン州の山地に住むバドゥイ族は400年以上イスラム化も近代化も拒みながら、孤立の文化を守ってきた人びとです。一説によると、1579年に、バンテンのイスラム勢力によって、ヒンドゥー王国のパジャジャランが滅亡した後、山中に逃れ去った一族の子孫ということです...
木津宗詮6月18日1 分7日目還暦自祝連回茶事7日目を無事に終えることができました。家元に入門してからコツコツ集めてきた道具と還暦と庸軒好みの茶席「淀看席」ということから、還暦、庸軒、宗旦、一翁、普斎などに因む道具で、連日お茶を差し上げました。ちなみに家に伝わるものは一切つかわずに。...
木津宗詮6月5日1 分原点30年ほど前、5年あまり稽古場としてお世話になった下御霊神社です。ゆっくり境内を拝見しました。改めて由緒のある神社であることを認識しました。 今月は祭りということで東山天皇はじめ後桜町天皇のご寄付になる神輿、同じく明正天皇のご寄付になる猿田彦神面など貴重な品を拝見できました...
木津宗詮5月31日1 分下宿近衛文麿が京都帝国大学の学生だった頃にしばらく下宿した大徳寺芳春院。1枚目から4枚目までが文麿が使っていた建物です。写真の2室以外にあと2間と風呂と便所があった独立した棟です。 大卒者の初任給が50円程だった時代に、なんと毎月150円の仕送りを受け取っていたそうてす。さすが...
木津宗詮5月30日2 分卜翠会総会並びに研修会社中の会である卜翠会の総会並びに研修会が5月28日に京都北野天満宮と天喜で行われました。 北野天満宮は古くから朝野の尊崇を集める菅原道真公をご祭神とする京都の古社です。また、今日一般に行われている大寄茶会の発祥である北野大茶湯が催された地でもあります。...
木津宗詮4月25日1 分知恩院みえいど平成23年の法然上人800年大遠忌の記念事業として 総本山知恩院の国宝・御影堂の半解体をともなう大修理が行われました。 徳川家光の寄進になる法然上人の御影を祀った建物です。唐様を取り入れた和様になる建築様式で、奥行35メートル、間口45メートル。周囲に幅3メートルの大外縁を...
木津宗詮3月12日2 分3月11日 稽古の床先日来、蔚山大学魯名誉教授との座談会、また教授の主催する研究会のメンバーとの交流で、韓国蔚山に赴きました。それにちなみ、本日の稽古の床に三代聿斎宗泉の朝鮮東莱府に赴いた時、その途次の山並みを描き自賛を認めた軸を掛けました。花は本来は違法ですが、蔚山でもらって持ち帰った椿と銀...