木津宗詮4月10日1 分4月9日 稽古場の床春日大社職員の稽古の床に江戸中期の絵師三熊花顛(みくまかてん)の桜花図を掛けました。 三熊花顛は加賀国(石川県)の出身で、名は思孝、字は海棠、別に介堂と号しました。絵を長崎の大友月湖に学びました。のちに麒麟や鳳凰、龍、虎、獅子、象など見たこともないものを描くのは、ただ一時の...
木津宗詮4月9日1 分お釈迦になる失敗して物をダメにする事を「おしゃかになる」といいます。以前からなぜそういう風に表現するのか気になっていました。その語源を調べてみると花祭り・灌仏会に因むとありました。江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍って使い物にならなくなった金物を、江戸っ子訛りで「しがつよかった...
木津宗詮4月8日1 分一指斎作 墨堤桜樹茶杓一指斎作墨堤桜樹茶杓。「以墨堤桜樹作之」と割蓋の筒に書付した隅田川の桜で作った茶杓で、細身の皮付きのもので、荒々しく刀痕が残され、櫂先には花押が墨書で認められ、会心の作品であったことがうかがえます。 一指斎は明治14年(1881)に東京を訪れていますその足取りの詳細は不明で...