木津宗詮2023年2月28日2 分利休忌天正19年(1591)利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられました。弟子である前田利家や、古田織部、細川忠興らの大名たちが助命に奔走しますが適わず、改めて京都に呼び戻され切腹を命じられます。そして2月28日に聚楽屋敷内(現、晴明神社)で切腹して果てました。享年70。...
木津宗詮2023年2月18日1 分一啜斎好 炭斗爐了入作になる一啜斎好みになる炭斗爐です。爐とかいて「ほうろく」と読みます。 一啜斎の箱書には、 炭斗爐 楽吉左衛門造焉 官休庵宗守(花押) 自好 とあります。 『官休庵秘聞鈔』という伝書には、 ほうろく炭斗兼用、一啜斎好にて左の如し、...
木津宗詮2023年2月4日4 分心の目天保6年(1835)1月二22日に武者小路千家9代好々斎が41歳で亡くなります。まさに業半ばの死でした。あとには義父一啜斎と義母智法、妻の宗栄が残され、好々斎と宗栄の間には宗普(文政3年9月16日歿)という女子がいたようですが、夭折しており、好々斎が亡くなった時には実子がい...
木津宗詮2023年1月21日1 分10月19日 稽古場の床武者小路千家9代好々斎室宗栄の丹頂画讃です。花は三千年椿と加茂本阿弥椿、白梅を円窓花入に入れました。 松高(丹頂絵)眠 官休庵(花押) 松高く丹頂眠ると読みます。とても素人離れした見事な丹頂の絵で、誠に堂々とした筆跡です。...