木津宗詮2019年8月24日4 分初代松斎宗詮18 大綱宗彦大綱宗彦(だいこうそうげん)は、法諱を宗彦、道号を大綱、空華室くうげしつ・昨夢・向春庵と号している。安永元年(一七七1772)に京都に生まれ、定かではないが母は光格天皇の乳母であったと伝えられている。6歳の時に黄梅院の大徳寺409世融谷宗通(ゆうこくそうつう)に師事し、師の...
木津宗詮2019年8月24日3 分初代松斎宗詮17 松斎と徳川治宝天保8年(1837)、松斎は徳川治宝より、還暦の賀として紅裏の小袖を拝領し、賀の茶事を催している。他にも甲冑と脇差が紀州侯から拝領としている。 松斎と紀州徳川家との関わりについての記録はほとんど残されていないが、間接的なものとして以下の事柄が確認できる。大徳寺の大綱宗彦だい...
木津宗詮2019年8月23日2 分初代松斎宗詮16 紀州家仕官天保2年(1841)2月、松斎55歳の時、紀州徳川家に小納戸役(こなんどやく)として仕官し、十五人扶持を与えられている。松斎の紀州徳川家仕官の経緯の詳細については不明であるが、前出の通り、松斎の祖父にあたる願泉寺34世観龍は紀州家家臣堀田家から養子に入っている。また、参勤交...
木津宗詮2019年3月3日2 分初代松斎宗詮15 松斎と名古屋文化十二年(一八一五)、松斎は大坂・名古屋において住宅や茶室の建築に携わっている記録が残されている。そして、名古屋の材木商鈴木惣兵衛(そうべえ)(一八二三〜一八九一)より材木を譲られ、梶木町に家を構え稽古を始めている。のちのことであるが、松斎は尾張徳川家の招致により、紀州家...