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12月9日 稽古場の床
永源寺の一絲文守(いっしぶんしゅ)の竹に雀の絵を掛けました。 一絲文守は公家の岩倉家の祖である岩倉具堯(ともたか)の三男で、沢庵宗彭(たくあんそうほう)に師事し、沢庵が紫衣事件で出羽国に配流されると、これに従い、翌年に一人で京に戻りました。のちに愚堂東寔(ぐどうとうしょく)...

木津宗詮
2023年12月12日読了時間: 1分


有隣斎好 膳所焼雲錦茶碗
昭和45年の大阪万博の呈茶席で用いるのに有隣斎が好んだ膳所焼雲錦茶碗。 膳所焼特有の鉄釉の中に金線で紅葉を描き、そのの中に桜の絵がが細かく置かれています。地味ではありますがとても品格が漂う茶碗です。

木津宗詮
2023年11月25日読了時間: 1分


興宣大院君(こうせんだいいんくん)
大院君画「蘭図」です。 興宣大院君(こうせんだいいんくん)は1820年12月21日(時憲暦嘉慶25年十一月十六日) - 1898年(光武2年)2月22日(時憲暦二月初二日))は、李氏朝鮮時代の高宗の実父で、本名は李昰応で、元来「大院君」とは直系でない国王の実父に与えられる称...

木津宗詮
2023年11月7日読了時間: 2分


11月4日 稽古場の床
東京の稽古場の炉開きです。床は大徳寺大綱和尚筆一行「めでたくかしく」を掛け、前に北野天満宮献茶道具の茶壷の控えを飾りました。床柱に竹一重切花入に西王母椿と照葉。 明治14年に武者小路千家11代家元一指斎が北野天満宮で初めて献茶を奉仕しました。その際に大阪の社中で木津家2代得...

木津宗詮
2023年11月4日読了時間: 1分


御本半使(はんす)茶碗。
半使とは朝鮮の訳官、とけ通辞の名のことこととされ、半使の指導により朝鮮釜山で焼かれたとされています。形は種々あり赤く斑点の出たものを喜ぶよとのことです。この茶碗は底に窯傷があり、名残の頃に相応しいということでしばしば使う茶碗です。

木津宗詮
2023年10月26日読了時間: 1分


宗真作 竹茶杓「鶴」
7代家元直斎室宗真の作になる竹茶杓「鶴」です。筒と箱の書付は8代一啜斎です。筒に「八十五歳宗真作」、箱には「老母宗真茶杓 鶴」と認めています。 武者小路千家では、文政6年(1823)の3月に還暦を迎えた娘婿の一啜斎が隠居し、孫娘宗栄の婿として裏千家から迎えた不見斎の三男好々...

木津宗詮
2023年10月25日読了時間: 1分


直斎手造り赤茶碗「柿」
まことに小ぶりな塩笥形の可愛い赤茶碗です。一啜斎が「柿」と銘をつけています。ちょうど柿の実ほどの大きさです。

木津宗詮
2023年10月23日読了時間: 1分


茜焼 朔望月(さくぼうげつ)絵茶碗
茜焼は岡田華渓の製作した陶器です。岡田華渓は、大正10年京都の呉服商に生まれ、若い頃に西山翠嶂門下の日本画家井上正晴に師事し、7代岡田暁山に嫁ぎました。40歳のとき、日本画の素養を生かし、京都東山に茜窯を開いて茶陶の製作を始めました。その作風は、女性らしい繊細さを表現したも...

木津宗詮
2023年10月23日読了時間: 1分
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