木津宗詮2023年3月12日1 分鶯宿梅林光院さんのご厚意により、鶯宿梅のひと枝をいただき、茶事の後座の床に入れさせてもらいました。鶯宿梅がより引き立つように青竹の尺八、それに直斎の茶杓「鶯宿梅」を用いました。茶杓は鶯宿梅の古材で作られたもので、直斎と林光院を橋渡ししたと思われる売茶翁の掛物を初座の床に掛け、香合...
木津宗詮2023年3月5日1 分売茶翁出家の地売茶翁の遺跡です。11歳の時に龍津寺の化霖和尚について得度しました。この地が売茶翁の原点です。かつて流儀の機関誌に売茶翁について連載しました。ようやく訪れることができました。 なお、寺は昭和20年に火災で焼けてしまったとのことです。
木津宗詮2023年2月28日2 分利休忌天正19年(1591)利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられました。弟子である前田利家や、古田織部、細川忠興らの大名たちが助命に奔走しますが適わず、改めて京都に呼び戻され切腹を命じられます。そして2月28日に聚楽屋敷内(現、晴明神社)で切腹して果てました。享年70。...
木津宗詮2023年2月27日1 分茶旗「清娯(せいご)」一指斎の門人秦蔵六の茶旗「清娯」です。 清娯 (印) 白楽天の詩が出典です。清娯は清く楽しむという意味です。茶旗は煎茶道の始祖と仰がれる売茶翁が、野外で茶莚を開いた時、木の枝に「清風」と認めた旗をかけ、道を行く人に茶を煮ている合図とした故事に基づき、煎茶の会で用いられていま...