木津宗詮4月14日1 分見わたせば愈好斎水無瀬神宮竹茶杓「見わたせは」です。箱に、 見たわたせは山もとかすむ水無瀬川 夕は秋となにおもひけん と後鳥羽天皇の御製が認められています。 見渡してみると、山のふもとがかすんでそこを水無瀬川が流れています。夕べの風情は秋に限るとどうして思っていたのだろう。こんなにす...
木津宗詮4月14日1 分花びらの絨毯花びらの絨毯です。以前は観光客もいない隠れた穴場でしたが、いつのまに観光客てわいっぱいになりました。毎年静かに行く春に思いを馳せる場でしたが、もうここもダメになってしまいました😓
木津宗詮4月14日1 分4月13日 稽古場の床三代聿斎宗泉の置字になる「萬朶」です。ミャンマー土産の蒟醤薄板に萩井一司の唐銅立鼓花入を置き乙女椿に山吹を入れました。 萬朶 發為桜 聿斎(花押) 聿斎横物「万朶発為桜(ばんださくらとしてはっす)」です。 朶(だ)とはしだれるとかたれる。枝や花・実などがたれさることをいいます。
木津宗詮4月12日1 分夜桜、明桜四代中村深斎宗哲作になる「少庵好 夜桜棗」と七代中村貘斎宗哲作「明桜棗」です。 夜桜棗は見た目はただの黒塗棗ですが、角度を変えて光にかざすと黒く桜の花が浮かびます。そうしたことから夜桜棗と呼ばれています。吸い上げ蒔絵という技法が施されていて、中塗研立ての上に蒔絵を施し薄めに...
木津宗詮4月10日1 分4月10日 稽古場の床豊田善右衛門聴雪の一行「春風入萬物」です。 春風入萬物 七二翁聴雪居士(印) 豊田善右衛門は大阪の繊維商社豊田商店(現豊田産業株式会社)の主人です。豊田商店は国内外に向けた毛織物・紳士服地・婦人服地などを扱い、中国北東部や香港にも支店を構えていました。弟の上野理一は朝日新聞...
木津宗詮4月10日1 分4月9日 稽古場の床春日大社職員の稽古の床に江戸中期の絵師三熊花顛(みくまかてん)の桜花図を掛けました。 三熊花顛は加賀国(石川県)の出身で、名は思孝、字は海棠、別に介堂と号しました。絵を長崎の大友月湖に学びました。のちに麒麟や鳳凰、龍、虎、獅子、象など見たこともないものを描くのは、ただ一時の...
木津宗詮4月8日2 分4月8日 稽古場の床大阪の稽古場の床は拙叟宗益賛になる狩野永岳画誕生仏図です。薮椿と八重山吹を小代焼蹲花入に入れました。拙叟宗益は大徳寺四百四十七世で、二代得浅斎宗詮の参禅の師で、狩野永岳は京狩野家九代で九条家の家臣で、復古大和絵師の冷泉為恭は甥にあたります。 天上有星皆向北 人間無水不朝東...
木津宗詮4月8日1 分一指斎作 墨堤桜樹茶杓一指斎作墨堤桜樹茶杓。「以墨堤桜樹作之」と割蓋の筒に書付した隅田川の桜で作った茶杓で、細身の皮付きのもので、荒々しく刀痕が残され、櫂先には花押が墨書で認められ、会心の作品であったことがうかがえます。 一指斎は明治14年(1881)に東京を訪れていますその足取りの詳細は不明で...
木津宗詮4月8日1 分御修法(みしほ)延暦寺根本中堂で行われる御修法(みしほ)に参列しました。毎年4月4日より7日間行われ、本日はその中日にあたり、天皇陛下のご名代天皇使がご参拝されました。延暦寺の年中行事のなかでも最も重要な法要で天台密教最高の秘法とのことです。天皇陛下の御衣を奉安し、玉体安穏、天下泰平。万民...
木津宗詮4月6日1 分右近の橘三代聿斎宗泉の右近の橘橘茶杓です。土御門天皇の御製「水の色に花の匂をけふそへて千歳の秋のためしとそみる」を銘とし、箱に「御苑右近橘一枝 宗泉謹作(花押)」、甲に「御茶則」と認めています。茶杓の裏に桜の花を二輪蒔絵を施し、右近の橘、左近の桜の気持ちです。
木津宗詮4月5日1 分大應国師普光塔後宇多天皇遺髪塚にお参りしました。御堂の中に遺髪塚と大應国師(南浦紹明)の普光塔が祀られています。現在、大応国師の塔所である龍翔寺は大徳寺の山内にありますが、元々この地に後宇多上皇が離宮柳御所を寄進して建てらました。のちに大徳寺山内に移転し、明治初年に廃寺となりました。大正...