木津宗詮2020年4月10日3 分故郷の花土佐貞親「忠度都落ちの図」です。 平家一門で清盛の末弟にあたる平忠度は文武に長け、特に和歌を藤原俊成に師事し歌人としても優れていましたた。寿永2年(1183)7月の平家一門の都落ちの際、忠度は従者6人を引き連れ都に引き返し、俊成の邸を訪れました。そして秀歌と思われる歌百余首...
木津宗詮2020年4月6日1 分蔵屋敷江戸時代、全国の大名が大坂で年貢米や特産物を換金するために設置した蔵屋敷が多数ありました。幕末には水運の便のよい大川ぞいの中之島に41、堂島に15の蔵屋敷があったそうです。蔵屋敷は米蔵と船入の設備を持ち多くの藩士がいました。そして堂島には米を換金する米相場があり、その金は国...
木津宗詮2020年4月5日1 分鶴の子大綱が「鶴の子」と銘をつけた呉須茶碗です。 呉須とは中国の江西・広東地方の民窯で、明末・清初にかけて大量に焼かれた粗製の磁器をいいます。素地は厚ぼったく灰白色で、黒ずんだ藍色染付を呉須染付。上絵が赤を主調としたものを呉須赤絵とよばれています。その侘びた風情を茶人は喜びました...
木津宗詮2020年4月2日2 分綾椿(あやつばき)江戸後期、江戸幕府の御家人で国学者の屋代弘賢(やしろひろかた)が自然・社会・人文の諸事項を分類し、その起源・歴史などを古今の文献をあげて考証解説した『古今要覧稿』に、 諾州採薬記云、伊勢国鈴鹿郡高宮村に檜椿といふ名木あり、椿の木より檜の葉出る、惣じて此村の椿に檜木交り出る...