木津宗詮2020年5月14日2 分2代得浅斎宗詮2 茶の湯修行家元への入門並びに許状の台帳によると、得浅斎は天保6年(1835)、14歳の時に武者小路千家九代好々斎に入門している。なお、好々斎はその10日後に41歳で没しているので、好々斎に直接茶の湯の指導を受けることができなかったと思われる。いずれにしろ好々斎の最後の弟子の一人であっ...
木津宗詮2020年5月6日1 分2代得浅斎宗詮1 生い立ち得浅斎(とくせんさい)は文政5年(1822)播磨国高砂(兵庫県高砂市)の善立寺(ぜんりゅうじ)13代正厳(しょうごん・天保13年10月28日没、49歳)と妙厳(みょうごん・房枝)との間に生まれている。兄にのちに善立寺14世となる正隆(しょうりゅう)がいる。何歳の時に松斎の養...
木津宗詮2020年4月30日3 分初代松斎宗詮39 晩年の松斎『鐘奇斎日々雑記』の嘉永7年(一八五四)9月2日に、 二日 晴 木津氏正午茶湯 森三折・拙・藤井・ 梅中・広市 床 沢庵文 八月十二日泉南へ江月和 尚・滝本坊適ト□□□遠州ゟ茶事 申参下只一夜老拙語申候余草臥今 不来候此度の名残のミして望月の...
木津宗詮2020年4月10日1 分初代松斎宗詮38 岩永文禎松斎と徳川治宝について触れた際に記した岩永文禎は、鐘奇斎と号し、大坂の外科医岩永文茶の門下となり、のちにその娘婿となり道修町四丁目で開業した。茶の湯は松斎に師事し、能・俳諧・連歌を嗜んだ。天保13年(1842)から慶応2年(1866)の死ぬ直前まで、20余年間にわたり『鐘奇...