top of page
検索
2代得浅斎宗詮3 一指斎の後見
得浅斎は、松斎の茶の湯を義母の柳とともに支えた。武者小路千家は此中斎の離縁により、急遽新たに後継者を迎える必要に迫られた。「登士録」に、嘉永5年(1852)3月22日に表千家の吸江斎の息子で、以心斎の甥にあたる辰之助、のちの一指斎が再養子として入家している。辰之助が5歳の時...

木津宗詮
2020年5月24日読了時間: 2分
2代得浅斎宗詮2 茶の湯修行
家元への入門並びに許状の台帳によると、得浅斎は天保6年(1835)、14歳の時に武者小路千家九代好々斎に入門している。なお、好々斎はその10日後に41歳で没しているので、好々斎に直接茶の湯の指導を受けることができなかったと思われる。いずれにしろ好々斎の最後の弟子の一人であっ...

木津宗詮
2020年5月14日読了時間: 2分


2代得浅斎宗詮1 生い立ち
得浅斎(とくせんさい)は文政5年(1822)播磨国高砂(兵庫県高砂市)の善立寺(ぜんりゅうじ)13代正厳(しょうごん・天保13年10月28日没、49歳)と妙厳(みょうごん・房枝)との間に生まれている。兄にのちに善立寺14世となる正隆(しょうりゅう)がいる。何歳の時に松斎の養...

木津宗詮
2020年5月6日読了時間: 1分


初代松斎宗詮39 晩年の松斎
『鐘奇斎日々雑記』の嘉永7年(一八五四)9月2日に、 二日 晴 木津氏正午茶湯 森三折・拙・藤井・ 梅中・広市 床 沢庵文 八月十二日泉南へ江月和 尚・滝本坊適ト□□□遠州ゟ茶事 申参下只一夜老拙語申候余草臥今 不来候此度の名残のミして望月の...

木津宗詮
2020年4月30日読了時間: 3分
初代松斎宗詮38 岩永文禎
松斎と徳川治宝について触れた際に記した岩永文禎は、鐘奇斎と号し、大坂の外科医岩永文茶の門下となり、のちにその娘婿となり道修町四丁目で開業した。茶の湯は松斎に師事し、能・俳諧・連歌を嗜んだ。天保13年(1842)から慶応2年(1866)の死ぬ直前まで、20余年間にわたり『鐘奇...

木津宗詮
2020年4月10日読了時間: 1分
初代松斎宗詮37 大坂の門人
松斎の大坂の門人の中には有力商人が多数いた。幕府が大坂の本両替の仲間の取締りと公金の取扱い、米の買上げ、各種御用金を負担させるために選任した「十人両替」のひとつで宇和島藩(愛媛県)の蔵屋敷蔵元を務めた米屋郡六右衛門がいる。同じく十人両替加島屋広岡久右衛門(現大同生命)、同じ...

木津宗詮
2020年4月6日読了時間: 2分
初代松斎宗詮36 平瀬家の一族
松斎の門人でありパトロンでもあった平瀬春温は天保10年(1839)に乱飾の相伝を受けている。その一族には、書肆を営む赤松千草屋の平瀬道堅(新右衛門)や、伊勢桑名藩の松平家の用達で平瀬家新宅の平瀬儀超(市五郎)・両替商の冨子思成(亮右衛門)などの平瀬家周辺の者がいる。...

木津宗詮
2020年4月3日読了時間: 2分
初代松斎宗詮35 兵庫の門人
松斎には、兵庫(神戸市)での有力な門人に北風氏がいた。北風氏は、宗家の「六右衛門(ろくうえもん)家」と嫡家の「荘右衛門(そううえもん)家」、分家支流、約10家が存在した。湊川の戦いの時、44代貞村(さだむら)が軍功をたて新田義貞(にったよしさだ)から喜多風(きたかぜ)(のち...

木津宗詮
2020年4月1日読了時間: 2分


初代松斎宗詮33 『山村日記』1
今日、水口の門人山村十郎右衛門とその先代九郎治と養子の九郎治と3代にわたり、文政5年(1822)より明治9年(1876)までの52年間のうち、44年分にわたる『山村日記(『諸事書留』)』が残されている。その中の松斎に関する記述があり、その動向知ることができる。...

木津宗詮
2020年3月24日読了時間: 3分
初代松斎宗詮34 『山村日記』2
天保14年(1843)10月2日に松斎は山村家を訪れている。夕食ののち、小習六ヶ条のひとつ入子調と盆香合・長緒等の稽古をしている。翌日から7日まで松斎に関する記述がないため、多分日野の稽古に赴いたと考えられる。再び7日には隅屋常治郎を同道して山村家を訪れている。この日は壷飾...

木津宗詮
2020年3月20日読了時間: 2分


初代松斎宗詮32 山村十郎右衛門
水口の山村十郎右衛門は、水口藩の領民支配を円滑にするために設けられた役人である大庄屋であり、藩の蔵屋敷の蔵物販売の代銀を預かり、その出納や国元と江戸藩邸への送金を任されていた掛屋を商っていた水口の有力商人である。山村九郎治はその養子にあたる。なお、前出の通り、末子の正治右衛...

木津宗詮
2020年3月11日読了時間: 1分
初代松斎宗詮31 矢野庄右衛門・矢野覚左衛門
同じく日野の門人として矢野庄右衛門と2代矢野覚左衛門がいる。いずれも、呉服・太物・漆器類販売また関東では酒・醤油醸造、販売等を商っていた矢野新右衛門家の分家にあたる。そして藤崎佐兵衛は上野国鬼石町(群馬県藤岡市)で醤油醸造業を営む藤崎佐兵衛家3代の当主で、経営もさることなが...

木津宗詮
2020年3月8日読了時間: 1分


初代松斎宗詮27 小山田主鈴
小山田おやまだ主鈴(しゅれい)は、天明元年に岩代国(福島県)に白河郷士の子として生まれ、26歳の時、柳生(やぎゅう)家八代俊則(としのり)に足軽として仕官した。才腕を認められて重職に栄進し、のち奈良に移り、大坂や南都の柳生藩蔵屋敷の勝手方奉行を勤め、天保6年(1835)には...

木津宗詮
2020年2月21日読了時間: 2分


初代松斎宗詮26 奈良の門人
奈良の門人として小山田主鈴・橋本喜久右衛門・小瀬慶五郎・古川弥三郎・生嶋与五郎・嶋田平右衛門・瀬川茂左衛門・松嶋新六・高坂惣七・仙石主税・小瀬弥作が確認できる。 橋本喜久右衛門は奈良奉行所の与力で、名は政方まさみち、陶々斎と号し、奈良池之町に住んでいた。嶋田平右衛門は奈良三...

木津宗詮
2019年12月16日読了時間: 1分


初代松斎宗詮25 一乗院門跡尊応入道親王
尊応入道親王は伏見宮貞敬((ふしみのみやさだゆきしんのう)親王の第四王子で、仁孝天皇の猶子となり、親王宣下を受け、一乗院の41代門跡となる。のち粟田口青蓮院に移り、天台座主となる。勤皇家として活躍して安政の大獄に連座した。孝明天皇の信任が厚く,還俗を命じられ中川宮(なかがの...

木津宗詮
2019年11月4日読了時間: 2分


初代松斎宗詮24 一乗院の作庭
一乗院(いちじょういん)は、奈良興福寺の両門跡の一つである。両門跡とは一乗院・ 橘御殿(たちばなごてん)と大乗院(だいじょういん)・飛鳥御殿(あすかごてん)のことである。歴代門跡は五摂家の近衛(このえ)・鷹司(たかつかさ)の両家の子弟が同門跡となり、特に近衛家が主となってい...

木津宗詮
2019年10月30日読了時間: 2分


初代松斎宗詮23 此中斎(しちゅうさい)の後見
以心斎(いしんさい)が家元としての働きができなくなったため、新たに以心斎に養子を迎えることとなった。『日記抜録』の天保12年(1841)8月13日に、大綱の古稀の祝いに黄梅院を訪れた松斎が、表千家10代吸江斎の次男慈眼を以心斎の養子に迎えたい旨を話し、そのことを聞いて大綱は...

木津宗詮
2019年10月5日読了時間: 5分


初代松斎宗詮22 利休二百五十年遠忌追善茶事
武者小路千家では追善茶事を、10月1日から11月20日まで六十二会を催している。このたびの追善茶事では、由緒ある名物で利休遺愛の長次郎作木守きまもり茶碗(6代真伯が高松侯に献上)を用い、多くの人に披露して往時を偲び、より意義深い催しとして、武者小路千家の家名を輝かせたいとの...

木津宗詮
2019年9月14日読了時間: 5分
bottom of page



