木津宗詮5月2日2 分八十八夜八十八夜 夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が茂る あれに見えるは茶摘みぢやないか あかねだすきに菅の笠 田中訥言の茶摘図です。覆下(おおいした)の茶園で、頭に手ぬぐいを被り、縞の着物に赤い前掛け姿の女性が茶を摘んでいます。茜襷はしていませんが、この前掛けは茜染めのようで...
木津宗詮4月25日3 分立礼卓高齢になり脚を傷めて正座が出来なくなり、心なくも茶の湯わやめていく方が以前から増えています。そうした方たちが長年にわたり支えてくださったおかげで今日私たちが茶の湯をすることができるのです。なんとかしてそのご恩に報いることができないかと、10年以上前から社中の数寄屋大工の木村...
木津宗詮4月24日1 分銭茶先日韓国の魯先生にかつて韓国で作られていた銭茶を再現したものをいただきました。陸羽の『茶経』にある団茶の製法とほぼ同じものです。ただし韓国の銭茶は火で炙って沸騰した薬缶の湯にに入れて飲まれていたものです。 今回私もかつての製法をもとに作ってみました。木臼は手元の摺鉢、形を作...
木津宗詮4月12日1 分時雨桜月輪寺の時雨桜です。 架蔵に先々代愈好斎の書付になる時雨桜で作られた茶杓があり、一度その木を見てみたいということで月輪寺を訪ねました。 月輪寺は愛宕山の東山腹にあり、月輪関白九条兼実が隠棲した地です。兼実は法然に深く帰依して円澄と号しました。法然と弟子の親鸞が流罪となる際、...
木津宗詮3月31日1 分松平不昧公もとは浄土宗江戸四ヶ寺のひとつ、芝の天徳寺にあった松平不昧公の墓です。関東大震災の被害に会った際、松江の月照寺に移されることになっていましたが、高橋箒庵が護国寺に移転しました。 初代松斎宗詮は大坂木津の願泉寺に生まれ住職として勤めます。四天王寺で雅楽を嗜み、寺を弟に譲り江戸...
木津宗詮3月28日1 分利休忌稽古場の床に松平不昧公の賛になる狩野栄川院の利休居士の画像を掛けてお祀りしました。不昧公の賛は大巓和尚の利休居士像の賛語の写しを認めています。 頭上之巾 手中之扇 制喫茶道 引紛奢人 頭上巾(きん) 手中の扇(せん) 喫茶の道を制し 奢人(しゃじん)を引紛(いんぷん)す...
木津宗詮3月17日2 分私の席昭和15年(1940)4月21日に三千家が施主となり利休居士三百五十年遠忌法要が大徳寺法堂で営まれました。そして法要では表千家即中斎、裏千家淡々斎、武者小路千家愈好斎により献茶が、また、法要の実況放送も行われました。法要の導師は当時大徳寺管長であった大梅窟でした。...
木津宗詮3月14日1 分8代目千家出入りの炭屋泉春石津商店です?。200年前に公家の勧めで炭屋に家業を改めて現在に至っています。当代で8代目だそうです。元々は烏丸今出川辺りにいたそうですが、幕末の騒乱を避けて西洞院竹屋町の地に移転したそうです。公家をはじめ三井家の出入りで、現在は茶の湯の炭を専門に扱って...
木津宗詮3月14日1 分銭茶・青苔茶昭和15年に刊行された、諸岡存・家入一雄著『朝鮮の茶と禅』によると、かつて朝鮮・韓国で「銭茶・青苔茶」という団茶が全羅南道で作られていたとあります。 5月ころに柔らかい茶葉を摘み、蒸器で葉を蒸します。その葉を釜に入れて両手で箸を一本ずつ持ってかき混ぜながら炙ります。葉が完全...
木津宗詮3月12日1 分鶯宿梅林光院さんのご厚意により、鶯宿梅のひと枝をいただき、茶事の後座の床に入れさせてもらいました。鶯宿梅がより引き立つように青竹の尺八、それに直斎の茶杓「鶯宿梅」を用いました。茶杓は鶯宿梅の古材で作られたもので、直斎と林光院を橋渡ししたと思われる売茶翁の掛物を初座の床に掛け、香合...
木津宗詮3月5日1 分売茶翁出家の地売茶翁の遺跡です。11歳の時に龍津寺の化霖和尚について得度しました。この地が売茶翁の原点です。かつて流儀の機関誌に売茶翁について連載しました。ようやく訪れることができました。 なお、寺は昭和20年に火災で焼けてしまったとのことです。
木津宗詮2月28日2 分利休忌天正19年(1591)利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられました。弟子である前田利家や、古田織部、細川忠興らの大名たちが助命に奔走しますが適わず、改めて京都に呼び戻され切腹を命じられます。そして2月28日に聚楽屋敷内(現、晴明神社)で切腹して果てました。享年70。...
木津宗詮2月27日1 分茶旗「清娯(せいご)」一指斎の門人秦蔵六の茶旗「清娯」です。 清娯 (印) 白楽天の詩が出典です。清娯は清く楽しむという意味です。茶旗は煎茶道の始祖と仰がれる売茶翁が、野外で茶莚を開いた時、木の枝に「清風」と認めた旗をかけ、道を行く人に茶を煮ている合図とした故事に基づき、煎茶の会で用いられていま...
木津宗詮2月25日2 分梅花祭2月25日は菅原道真公の祥月命日で、京都北野天満宮では御祭神をなだめる祭典である梅花祭が行われます。この祭典では、「梅花御供(ばいかのごく)」と呼ばれる四斗の米を蒸し「大飯(おおばん)と小飯(こばん)」・梅の小枝を使った「紙立(こうだて)」が、この日だけ特別に御神前が供えら...
木津宗詮2月18日1 分一啜斎好 炭斗爐了入作になる一啜斎好みになる炭斗爐です。爐とかいて「ほうろく」と読みます。 一啜斎の箱書には、 炭斗爐 楽吉左衛門造焉 官休庵宗守(花押) 自好 とあります。 『官休庵秘聞鈔』という伝書には、 ほうろく炭斗兼用、一啜斎好にて左の如し、...
木津宗詮2月18日2 分ワイングラスかつて青山のリーデル・ワインブティツクでテイスティング・セミナーに参加しました。 グラスの形でワインの味が全く違うものになるということを教えてもらいました。それまでも知識としては知っていたつもりです。ただ、今回は味音痴の私にもグラスで味が全く違うものになることがとてもよくわ...
木津宗詮2月5日1 分総本家駿河屋総本家駿河屋さんの煉羊羹は太閤さんが茶会の引き物として諸大名に配ったとの謂れがあるそうです。利休さんも間違いなく食べたに違いありません。太閤さんと利休さん、茶の湯とはこれ以上関わりの深いお菓子はありませんね。今年の利休忌で使わせてもらいます。...
木津宗詮2月3日3 分向春氷封水面聞無浪 丙子初秋抄書菅家詩句愈好斎(花押) 氷は水面を封(ほう)じて 聞くに浪なし 愈好斎一行「氷封水面聞無浪」です。丙子は昭和11年で10月8日から5日間にわたり北野大茶湯の350周年を記念して「昭和北野大茶湯」が開かれました。この軸はその記念に認められたものです...