木津宗詮2022年3月25日1 分利休居士遺愛の水 晴明井千利休は豊臣秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられ、のちに京都に呼び戻されて葭屋町の聚楽屋敷内で切腹を命じられて自刃して果てました。天正19年(1591)2月28日、享年70歳。 その首は一条戻橋で梟首された。首は賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされた...
木津宗詮2022年3月22日3 分通圓宇治橋畔の茶通圓の創業は平安時代末永暦元年(1160)にさかのぼるそうです。元祖は源頼政の家臣、古川右内という武士だそうで、晩年隠居をし頼政の政の一字を賜って太敬庵通圓政久と名乗り、宇治橋東詰に庵を結びました。宇治川の合戦では主君源頼政のもとにはせ参じてともに平家の軍と戦い...
木津宗詮2022年3月2日11 分袖摺の松大山崎町(京都府)の妙喜庵の茶室「待庵(国宝)」は唯一現存する利休好みの茶室です。待庵の東側に植えられている「袖摺(そですり)の松」について、『都林泉名勝図絵』巻五に、 袖摺松、茶室の東側にあり、利休ここに幽棲の時、秀吉公来輿し給ひ袖摺て、茶亭へ入 せ給ふとぞ...
木津宗詮2022年2月27日2 分油筒裏千家又玅斎在判になる竹油筒花入です。月釜など他流の方が来られる茶会では、普段から他の千家ゆかりの道具を取り合わせるようにしています。私もまっく知らない道具ばかりでなく、自分の流儀のものが使われているとなにかホッとします。だから手元にふさわしいものがあれば使うようにしていま...