木津宗詮2023年3月7日1 分瀬戸茶入 鶯武者小路千家10代以心斎の銘になる瀬戸焼茶入です。 天保6年に武者小路千家9代好々斎が無嗣で亡くなりました。そこで急遽表千家10代吸江斎の弟以心斎を養子に迎えました。当時、以心斎は6歳で初代木津松斎宗詮が後見となり、高松公の命で3年間大坂屋敷内の長屋が貸与され、松斎に就いて...
木津宗詮2023年3月6日1 分3月3日 稽古場の床春日大社の職員の稽古に有栖川宮7代韶仁親王の短冊を掛けました。 呉竹のよゝのみやこと聞からに きみは千とせのうたがひもなし 紫式部の曽祖父藤原兼輔の和歌です。花は加茂本阿弥椿と山茱萸を竹一重切花入に入れました。 『大和物語』に、伊勢のくににさきの斎宮おはしましけるときに、つ...
木津宗詮2023年2月28日2 分利休忌天正19年(1591)利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられました。弟子である前田利家や、古田織部、細川忠興らの大名たちが助命に奔走しますが適わず、改めて京都に呼び戻され切腹を命じられます。そして2月28日に聚楽屋敷内(現、晴明神社)で切腹して果てました。享年70。...
木津宗詮2023年2月26日1 分2月25日 稽古場の床2昼間は三重県津市のある団体の稽古でした。床に私が描いた柳の絵に南宗寺吹毛軒老師が着賛してくださった軸を掛けました。 やがて芽が 出る 南宗寺碩應(花押) 私の半白の茶事を黒谷西翁院の淀看席で催した時、お越しいただき合作した思い出深い軸です。いつになれば芽が出ることか。気がつ...